2022年9月22日 息子、障害者手帳とさよならの日
2019年に病気が発症し、早3年が経とうとしています。
障害者手帳の更新のお知らせが届いたのが7月だったんですが
翌月8月に大阪大学病院の検査入院が決まっていたのでその時先生に相談して決めようと思ってました。
発症時は人工呼吸器もつけていたし運動の制限もありました。
申請時にはソーシャルワーカーの方にも必ず通るので代理で申請しますよと言ってもらえたので
(というか私の精神状態が最悪だったのでそう言わざるを得なかったんだろうな…)
手続きもほぼお願いしました。
そこから初めての更新だったので診断書うんぬんが面倒だな~という思いと
昨年は特別児童手当も症状が落ち着いているとのことで支給停止なったトラウマみたいな気持ちになりまして
(診断書郵送で色々手間かかって停止はちょっとショックだよ…('_')
入院時に先生に聞いたら
「通らないから更新しないほういいかもね~」
と言われ、書類依頼しなくてよかったぁぁぁぁとw
確かに手帳があると市の施設やれ、動物園の駐車場とか無料になってとっても助かったのよね…
元夫が居たときはETCの割引もあったし。
まぁ元気になった証拠だしよかったよね!と
この日区役所に返却しにいきました。
原本は受け取られてしまうので(当たり前ですがw)
記念に写真を撮っておきました。
顔写真は確かイオンに行ったときの子供用カートに座った笑顔の写真でとってもかわいい。
まだICUにいた段階で写真選びをした記憶があるので辛かったんだけどね。
もう(手帳に)出会うことはないだろうけど、
息子の元気な姿が見られるようになったことが一番うれしいね!
2022年10月19日 児童支援センターに相談
こんにちは。
長男が昨年10月に田中ビネー知能検査
shohgaisha.com
を受けて約一年経ちました。
小学校入学と同時に持病関連について担任の先生と面談したり小まめに連絡を取り合ってきたんだけれども
(先生の日々の尽力に感謝しかないです…いつもありがとうございます♡)
学校内での会議や支援担当の先生との話し合いの結果児童支援センターで相談していきましょうという流れになった昨日。
たまたま予定の詰めすぎない休日だったので支援センターに相談日の予約の電話
相変わらず大変混みあっているようで相談日が決まるまでに2~3か月、
そこから相談日がいつになるか、というお話でした。
それ以外にも息子の普段の様子、入学前に受けようと思ったきっかけ、学習の様子等色々聞かれてお話できた。
担当の方からそれ以外に「うっかりさん」だったりしますか?と聞かれて
あー----そうそうそううっかりレベルではないけども…!!!!と
忘れ物が当然なこと。
これからの時期上着を着せるけど着せるほど忘れてきて学校にストックがたまると先生からお電話いただくスタイルなんです~…と
お伝えした。
入学当初は
ランドセルに持ち物の絵を書いて(ひらがな読めなかったため)はさんだり
→効果なし
最近は紙でリストバンドを作ってそこに持ち物名を書いて入れたら捨ててきていいよ
→手を洗ったらぐちゃぐちゃになっちゃった
手にペンで持ち物名を書く
→手洗ったら消えちゃった
というわけで最近は手の打ちようがなく悩んでおります~と愚痴ってしまったw
「お母さん色々工夫されてて頑張ってますね~また違う方法でも最善の方法が見つかるようにお手伝いできればry」
言われただけで泣きそうになってしまった。
離婚してひとり親になってから行政の福祉サービスにとてつもなくお世話になってるんだけども
改めて一人じゃ育てられないなぁ…としみじみ感じてます。
悩むならホント周りの人に助けてと言わなきゃ生きていけないね(泣
また相談日決まって進捗あれば更新します★
2021年8月10日 あれから2年経ちました
こんにちは。
暑い日が続いてますね〜
先週は長男1年振りの阪大病院受診でした。
朝9時には吹田に着いて今日はもしかして昼頃に終わるかも…!!と期待してたのも束の間…
小児慢性特定疾患医療証の更新のための意見書の申請、ないとおもっていた心エコーが午後に予約されており( ・∇・)
採血、心電図、レントゲン最高にスムーズにいったのにいいいぃぃ!!
と心の叫び止まらず。
採血では「赤ちゃんみたいなちっちゃいの一回だけだから頑張ろう?」と言うと
「いいよ!一回だけね!」
と急成長を見せる息子!
手前で泣くんだろうなぁと思ったら
看護師さんの目の前に座ったら
「はやくやってください」とか言い出して皆で爆笑
子供も大人も同じですねw
さっさとやってこの場を離れたかったんだろうとw
座って自ら腕をだし
「いっつもこっち(右腕)だから」と
めちゃくちゃかっこよく右腕を出しw
(ここら辺で私の顔は爆笑モード)
結局最後まで腕を動かすこともなく、暴れることもなく、声も発さずw、泣きもせず。
すごくないです?こんなんだっけ…?5さい。
子供の成長に私の心が追いつかない瞬間が久しぶりで感激しました。
その後は心電図のお部屋で入る時に
「タコさんでしょ、わかるからいっしー」
とめちゃくちゃ我が物顔でベットに寝転がりTシャツを自分で脱いでw
終始強がる息子w
技師さんに「おかあさん、いっしーくんすごく落ち着いてますよ〜すごいですね」と。
採血終わったからリラックスしてたのかなー(°▽°)
レントゲンもすんなり。
むしろ私は廊下の椅子で待ってただけで。
2年前とは別人のようです٩( ᐛ )و
今回の診察では薬の量の調整がありました。嬉しい( ; ; )
2種類が0.5g減ったので1g減です。
利尿剤の副作用がエグかったのでそれが減るだけでもちょっとは変わるとのことで。
心臓の状態も肥大することもなく変わらず心機能も元気に動いてくれていました。
数値は異常値のままでしたがそれでも薬に助けてもらいながら頑張ってくれてました。
来年はお盆中一週間入院です。
考えるだけでちょっと疲れちゃいそうなので今は考えないでおきます…
心カテ、MRI、大丈夫かなぁ…( ͡° ͜ʖ ͡°)
一年振りのパパとの再会も息子たちは楽しかったようでした。
にっしーは再会の瞬間( ・∇・)みたいな顔してたので多分覚えてないですw
お出かけはほぼ虫取りでしたw
念願のカブトムシも見つけて今は家で観察の日々です。
名古屋の昆虫展も行けて夏の思い出ができました。
昨日はいっしー入院した日から2年でした。
乱文、誤字脱字だけなんですが…
ずっと日記を書いてました。
また再発したときに自分のヒントになるのではないかと思ったからです。
あとは昨日の出来事、治療の日程なども覚えていられないくらい頭がポンコツでしたのでメモ代わりにもしてましたw
8/9〜8/11までの3日間分ですが思い出すだけで寒気が…(まだまだあるけどちょっと今日は見るのやめました)
多分8/16からまとめて書いたんだと思います。
お母さん今日16日です、のくだりは覚えてませんでしたがまさにそんな感じでしたw
書類の日付が書けないという…
あれから同じ病気で頑張っている方は少なからずいるわけで大人の方でも結構いらっしゃるんだと最近知りました。
今はコロナでみんな気をつけてるからなりにくいのかもしれないけどそのせいで免疫力が低下しちゃうからどちらにせよ怖い…
また更新します( ´ ▽ ` )!
2021年7月28日 もうすぐ発症から2年
ご無沙汰のブログです😄
コロナとオリンピックと暑さともう日本はどうなってるんだろうと不安が募る日々ですね。。
来月、1年ぶりに阪大に受診にいきます。
大阪、暑いだろうな〜
(そこじゃない)
東京の感染者はもちろんのこと大阪の感染者数の爆上がりに不安しかないです。
もちろん大阪でどこも行く予定はないのですが😓
病院のみ行って受診終わったらすぐ帰ります…
制限診療は一年前からずっとしているのは知っていたので院内は特に気をつけているはず。先生たちもワクチンは打っているだろうし…
息子が劇症型心筋炎を発症してまもなく2年が経ちます。
現在の病名は「劇症型心筋炎心筋症」と言われてます。
Twitterでは発症後、たくさんの方にフォローしてもらい、たくさん応援をいただきました。
ずっとお世話になっているフォロワーさんにも我が子の様に関わっていただけて私も完全なツイ廃民になりましたw
Twitter最高だよ〜みんなだいすき。
沢山の方にフォローいただきましたがやはり2年経ち、フォロワー数もだいぶ減ったんですよね。
それが私は息子が元気な証拠、安心してフォロー外せると思ってくれたのだと捉えてます。
もともと100人もいなかったはずなのでw😂
でもPV数はある程度あり、情報を知りたい方もいるのかもしれない,と思って引き続き経過は書いていきたいなと思います。
毎週のルーティンも慣れました。
一日2回(朝晩)
一度に3袋なのでそれを振り分け…
一週間分ずつ振り分け…
これが最初は辛かった…
今飲んでいる薬は
エナラプリルマレイン(にがい)
アーチスト錠(錠剤を砕いてるのでめっちゃ苦い…)
フロセミド(にがい)
アルダクトン(にがい)
この4種類です。
全部苦いw
元々母の私も薬大嫌い人間なので息子が頑張ってるのたまに泣けちゃうんですよね。。
最初はチョコアイスに溶かして飲んでましたがこの夏からジュースで飲み込める様になりました。
とりあえず成人まではこのまま…なようなので薬の調整も含めて今回の受診で色々変わるのでは,と思います。
最初はもう一種類飲んでたのを今思い出しましたw
副作用の利尿作用は相変わらずだけど夜のおもらしは無くなりました…ありがとう息子。
自ら夜もパンツで寝るよ!って言ってくれたのは本当に嬉しかった。
体力もかなり回復してきてお昼寝必須だった4歳と比べると恐ろしいほど病児にはみえません。
全国各地の有名病院が公開している色々な情報の中で発症後【予後不良】と書かれていることにずっと不安はありましたがそれでも少しずつ背も伸びて体重もこの間の身体検査では17キロになりました。
3歳当時は14キロあったんですが入院して12キロまで落ちてたのでホント大きくなりました泣
昨日はご飯を食べる時のipad禁止を自ら言い出したので成長感じました。
何があったのかわからないけど母ちゃんは何も言ってないですw
自分から言ってくれたのがなにより嬉しい。
おかげでそのipadを次男が使うという事態になりつつありますがこのままipad封印したいくらい…絶対無理ですが
いや、なんか話がまとまらなくて申し訳ないですが息子たちは元気です。
休みの度に虫取りに行き、何かを捕まえて観察,ありがたいことに食物連鎖を理解してくれているのでお亡くなりになってしまったらアリさんやその他の生き物へ…
今はチョウセンカマキリを飼育中です。
まだ赤ちゃんなのでかわいいです。
大きくなってくれたらいいねー
脱皮するかな?
あれ今日大きくなったよね?!(変わってない)
とりあえず毎日楽しそうにしてます。
来週は猛暑の地に足を踏み入れるので沢山寝て沢山食べて万全な体制で向かいたいと思います。
(ついでに)元旦那との面会もあるので子供たちは楽しみにしているよう。。
子供たちの夏の思い出になってくれたらいいなぁと思います。
2020年12月31日 今年もありがとうございました
久しぶりの更新が大晦日になってしまいました。
今年は年始からコロナ禍が続き春先は緊急事態宣言、仕事もフルタイムに切り替えた所でリモートワークになりました。
入園式も参加できず行事も何もなくそういったことが増えて皆さんも寂しい気持ちになった方が多いと思います。
初夏にはフルタイム勤務しながら自動車学校に通いました。
仕事中も通わせてもらえることとなり無理を言って2ヶ月半で取得しました。
我ながらかなり勉強も頑張った期間でした。
この歳でこんなに勉強をすることも試験を受けることもないので新鮮だった反面、育児と仕事の両立がかなり辛かったです。
でもそれもこれも全ては離婚のためで未来の自分のために頑張れました。
高校受験も頑張ったとはいえここまで自分のために時間を費やして朝も昼も子供を寝かしつける間もひたすらアプリで勉強しました。
もう一回やってみて,と言われてももうできないかもしれません笑
免許センターで取得できたときは本当に嬉しかった。達成感がものすごくて18歳で取ってたら違うんだろうけど36歳でできたのは自分で自分を褒めていいんじゃないかと笑
育児はほぼワンオペ、経済的にも余裕がなく辛かった。
そんなことが祟ってか、9月にはめまいで倒れました。
先生には,疲れ、ストレスですねと言われましたがもう詰め込みすぎなんだな。もう限界なんだなと感じました。
いっしーが発症した時に出た飛蚊症もありました。
本当に虫が飛んでるように感じるのでつい捕まえようとするんですよね…恐ろしい。
投薬治療で日々改善されて引っ越し準備をしながら退職の手続き、引き継ぎなどをして
9月末に離婚。
ほんとうにほんとうに一人で子供たちを育てるんだと覚悟は決まっていましたが…子供たちに影響が出てしまうんだろうかと心配でたまりませんでした。
案の定、いっしーは離婚後引っ越しをしてから爪噛みが始まり、にっしーは更に甘えるようになりました。
出来るだけ一緒の時間を過ごすよう努力はしていますがこれからどういう風に影響が出るか不安もあります…
ただ、考えていてもどうしよもないので今はひたすら楽しい時間を過ごすようにしています。
引っ越しから手続き、保育園が決まるまで辛かった。
眠れなくて肌荒れ、体調不良が続いてこんな時期だしコロナも心配で病院にもやたらに行けず。
やっと体調も落ち着いた12月。
結局は副鼻腔炎だったようで今はなんともないですがもしかしてあの時コロナだったのでは…のいう不安は拭えません。
仕事も気が知れた仲間とできるのでとても楽しくマイペースにやれてます。
このまま来年も過ごしたい所ですがコロナ次第でどうなるのかわからないですね…
早く普通に外出できて楽しく買い物したり子供たちと遊びに行きたいです。
来年は皆さんにとっても素敵な年になるよう、祈っております。
フォロワーさんにはいつも助けられてばかりで感謝です。
ありがとうございます。
またくだらないことばかり呟くと多いますがまたよろしくお願いします😁
2020年8月24日〜27日 発症から1年検査入院
4日間、フルで検査入院頑張ってくれました。
記録として残します。
初日、9時頃阪大病院 に到着。
岐阜と比べると少し暑さが和らいでいるような気がしました(気のせいでしたがw)
にっしーと旦那が車に乗ったまま入院手続き。
月曜日とあってかなりの人数がいました。
警備員さんに聞いたら今日だけで80人以上入退院されるらしくそれでこんなんなんですわ、と。
仕方ないです。ひたすら待ちました。
1時間程経って病棟へ。
1年前のこの日、朝イチ先生から電話が来て調子いいので人工心肺取ろうと思うんですがと連絡をいただいた日だったと思います。
あの嬉しさ、衝撃は今でも忘れられなくてほんとに大丈夫なの?外しても大丈夫なの?と不安になりながらサインをしに行った記憶があります。
病棟に到着、病室に案内され、担当看護師さんとご挨拶。前回入院した時の顔を見たことのある看護師さんがいなくてもう会えないのかな、とちょっと寂しくなりました。
しばらく経って血液検査で大量に採血。
1回だけだよと言い聞かせどうにか処置室に入るも1回目に刺したところが採血出来ず…そこからは大暴れでした(´°̥̥̥̥̥̥̥̥ω°̥̥̥̥̥̥̥̥`)
結局先生と看護師さんにお願いする形になり私も側を離れて待つ形になり。
そこからのルート取りもすべて側にいることはできませんでした。
この世の終わりくらいの泣き方をする我が子を見るのはどの親でも辛いですよね。
予防接種でも耐えられない方もいらっしゃるというのに…(ごめんね、仕方ないんだ…)の感情の繰り返しでした。
2日目が心臓カテーテル検査でした。
鼠蹊部(太腿の付け根の太い血管)からカテーテルを挿入、心臓部まで入れて心筋炎で炎症を起こした心筋を採取、その検査をするというものでした。
文字にすると簡単に言ってる感じしますが恐ろしい…
前日8時までに夕ご飯を済ませて朝はいつもの薬だけ飲む、それ以外は絶飲食でした。
夜は私も安心して寝ることができず、いっしーが寝るまで立ちながら抱きついて明日がんばろうねといっしーに言ってるのか私自身に言ってるのか今となっては謎ですが眠りにつきました。
朝9時頃先生が病室へ、鎮静剤の飲み薬をぺろっとしたけどあまりの苦さにもういやだ、と。
先生に言ったら「うん、もう飲まなくていいよw点滴で入れましょう」と言われました。
そのまま目を覚ました状態でカテ室へ。
色んな科の先生が勢揃いでお出迎え。
いつも思います、こんなに先生がいたら大丈夫、なにがあっても大丈夫と。
研修医の先生もたくさんいてこの子たちの未来のためにいっしーは頑張ってると思うと不安が拭えるんですよね。
不思議です。
そんなこんなで2時間半が経過していつもより遅かったので不安でした。
病室で無音空間で待っているのも慣れました。以前はいてもたってもいられずソワソワソワソワ病棟を徘徊してました(°_°)
看護師さんが今終わったみたいで連れてきますね、と声かけをしてくれてホッとしました。
戻ってきたいっしーは足はぐるぐる巻き、完全に眠った状態でした。
先生が「点滴で鎮静剤入れたんですけどね、カテーテル入ったところでパチン!と目覚めて目あってねwおきたーー!やばい寝せてー!ってなりましたわw」と笑って話してくれましたw
起きてもまだ呂律も回らないだろうししばらく寝てほしかったのですが…
1時間で起きましたw
そこからは看護師さん呼んで先生呼んで起き上がらないように押さえつけ…
ここで立って大出血したらおわりーやばいーと泣き暴れる中ひたすら3時間の押さえつけに成功しました…
すっごい疲れました。
去年より会話もできるようになったし聞き分けも全然できるようになったのが救いだったけど抑えつけられるのはそりゃあ嫌なわけで。
出血していないことも確認できたので止血のための重り(砂のう)を取り、起き上がらないけどお腹は空いているのでお茶を飲んだり軽食を食べたりできるように。
呂律が回ってないせいで酔っ払いがいい感じに絡んできてるようなそんな感じでしたが意識もどんどんはっきりしてきて安心しました。
幻覚?みたいなものも見えるのか(頭が寝てるから?)
「ほら、虫飛んでるよ」とか言い出すので不安は完全に拭えませんでしたが(>_<)
夜はいつも通りのご飯を食べることができたけど夕方に食べてしまったのでお腹が空いてなかったんでしょう、あまり食べずに疲れ果てて眠りました。
私も心休まぬ一日で疲れました。
8時頃には寝たので1時2時におしっこ、お茶飲みたい、あつい、と起こされました…
3日目はフリーの日、というのはおかしいんですが中日のような感じで検査としてはなく、鎮静剤の影響が大丈夫かどうか先生が見にきてくれました。
すっかり元気になった様子でロビーを歩いたり外の景色を二人で見たりして過ごしました。
中にいるのに暑くて二人でアイスを食べたり私たちなりに楽しく過ごした日でした。
最終日はMRIの検査がありましたが時間がまだ決まっていなくてそれによっては退院日もずれるという話だったので
(私仕事休むしかないか〜)と思ってたんですが先生が遠方から来ているし、午前中に頼めないか確認しますと言ってもらえました。
結果午前中朝一番に入れることとなり前日からルート取りをすることに。
処置は安定のおまかせ。
母ちゃんは不安ではあったけど病室で待たせてもらいました。
案外すぐ終わり泣き疲れた息子とハグ。
頑張ってくれました。
今回の入院では純豆腐のお湯を入れるだけのカップのやつにハマったらしく毎日あたしが買ってきてました。
辛いのによく食べれるよね…すごい。
塩っ気もあるから余計だったのかも。
豆腐もおいしいと毎日嬉しそうに食べてた。
前回は食事は一切買ったものは食べれなくて本当お互いが辛かったので正直食の面だけでもクリアだったのはかなり救われました。
食事ってエネルギーだなって改めて感じました。
夜は「明日、検査頑張ってね」と出来るだけMRI検査について嘘をつかず理解してもらえる様に伝えた、つもり。
結局レントゲンと同じ様な感じに思えたのか、というか無理もない…MRIの最中眠らされてるから本人の意識ないのよね…
翌朝、最終日
8時から絶飲食だったので朝ごはんは届かず、水のみokでした。
だがこの日謎に5時半に起床したため、まだ日も出ていなかったんですが母はコンビニで朝の軽食を買ってきました。
もちろん純豆腐もw
お腹いっぱいになったところでちょうど7時頃。
朝ごはん食べさせてあげれてよかった泣
8時 先生が様子を見にきてくれました。
朝ごはん、食べたのにご飯が届くと思ったのか、
「え、ごはんじゃないの?」って不満もらしてました…
9時 MRI検査室の方から呼ばれて先生と皆で移動。
2度目のMRI検査室でした。
迷路みたいで未だに迷います。
先生に案内されないといけない…いつか行けるようになるのかな〜。
検査室前に着いて事前チェックをし、いよいよ造影剤、鎮静剤を入れる時、
造影剤が固い?のか注入した時にいっしーが「いたいいたいいたい!!!」と急に泣き出し、ルート取っても痛いの…え、なんでーって思ったけど温度差?なのかなんなのか入るのが冷たく感じるのかよくわからず。
とりあえず鎮静させましょう、となり私が抱っこした状態で宥めつつ、鎮静剤を入れたものの5秒くらいで呂律が回らなくなりまぶたも閉じました。
え、そんな数秒なの…!!?と重くなったいっしーを見てたら
先生に「じゃあお母さんお預かりしますね」と預けてそのままそこのベンチで座って待ってました。
しばらくすると先生が出てきてもしよかったら病室で待ってて大丈夫ですよ、と言ってもらえたので
朝ごはんもまだだったし退院の準備もしなきゃだし、と思い先生と病室に戻りました。
検査中目が覚めて大変になるだろうとは予測してたので後ろ髪引かれる思いでしたが…
部屋に戻り朝ごはんを食べて退院できるように荷物をまとめて…約1時間後くらいでしょうか看護師さんが声かけに来てくれて、その後すぐ戻ってきてくれました。
安定の鎮静状態。そしてやっぱり今回もあのMRI内の音もあってかこわいこわい!と少し起きてしまったらしく「また鎮静剤は入れました」…と。
それでも顔をみて気づいてくれて
ママ…ママ…と力の弱い呼ぶので頑張ったね!とたくさん褒めました。
本当頑張った。
病気と闘う子供たちがたくさんいる世界を目の当たりにして沢山の衝撃を受けました。
それでも我が子の治療、検査を頑張ってくれる姿は絶対忘れられないのでこれからも私も頑張ろうと思えます。
自分は痛くも痒くもなく何も変わることができない悔しさはもう味わいたくない。
これで全部の検査が終わり、
無事検査入院が終わりました。
帰りはららぽーとで観覧車に乗りたいと言っていたんですが…
会計が終わり、病院を出ようとした時に大雨、嵐、台風かよ、ってくらいの豪雨でした。
こんなタイミングでー?!?!と思いましたが…
病院からそのまま高速で帰るか悩みましたが既に道路の冠水具合がやばくて湖状態。
高速に入ってもハイドロ現象じゃない?大丈夫?と不安になったのでららぽーとで雨宿り。
小一時間散歩して外に出るとすっかり雨は弱まっててくれたので出発。
車の中で初めて大阪に来た日のことを思い出すと泣きそうになってしまいそうだったので子供たちとわちゃわちゃしながら帰ってきました。
帰り道いっしーが虫取りしたいというので途中のICで降りて予定変更。
帰りはすっかり外は真っ暗でした。
今回の入院も検査だけとはいえしんどかった。
いっしーが一番頑張ってくれてなにより救われました。
また来月、検査結果を聞きに行ってやっと安心できると信じてます。
2020年7月25日 最近を振り返る
久しぶりでした。
全然PV数とか気にしていなかったんですが久しぶりに見たらたくさん通知がきていて(何か月前に◎PV数をこえました、とかです)
なんでこんな久しぶりになったか振り返ってみると怒涛の半年間だったなぁと。
2月中旬だったかと思います、
旦那ともう一緒にいれない事態になり、離婚を決意。
真剣にわたしから話をするのは結婚以来初めてでした。(それもおかしい)
お互い思いやることのない数年間を過ごしたように思えます。
私も悪いです。でももう後戻りできませんでした。
旦那はわたしの好きな色も好きな芸能人も歌手も趣味も知りません。
すごいでしょ!(自慢することじゃない笑)
そのくらいヒトには興味ないんですよね…それは以前からわかってました。
ただ子供たちに影響が出てきてしまっていること、なにより私の精神安定に酷く影響がでてきてしまったことが一番の決め手でした。
話をする前に3日間ひたすら考えました。
離婚した場合のメリット、デメリット
離婚せず私が耐え続けるメリット、デメリット
でも答えは変わりませんでした。
仙台の母にもすぐ相談しました。
母は戻っておいでと、生活もどうにかなるからと言ってくれました。
背中を押されたようなそんな気分でした。
そんなかんじで(どんなかんじだ)
旦那に離婚希望と伝えて当たり前にすんなりOK。
止める理由もありませんからね…
旦那は2度目の結婚で前妻にも子供が二人います。
2度も結婚して子供が4人いて結果一人になるってどんな気分なんでしょうか…というか責任感なさすぎて笑ってしまうくらいですが。
それから3月には私がフルタイム勤務を始め、4月に入園式、コロナの影響で形だけの入園式で2日くらい登園して緊急事態宣言になったかと思います。
私もテレワークで6月末まではある意味ゆっくり(?)できたように思えます。
子供たちとの時間も一緒の時間が長くて大変なことが多かったし逃げ出したかったけど…これから寂しい思いをさせてしまうかもしれないことを考えたら前向きに捉えられるようになりました。
全国のパパ、ママさんほんとおつかれさまです。ツイッター見ててみんなすごいみんながんばれ、って思いが止まらなかったのを強く覚えてます。
で、6月末からは子供たちも通常通り保育園へ、私もフルタイム勤務、そして今まで普通免許を取ることができなかった環境下でしたが思い切って自動車学校に通うことに。
一応8月中の取得を目指してます。
先週は仮免も合格して今のところノリノリで生きてます。
体調もたまに疲れが出て頭がいたかったり胃痛があったりすることもあるけどそんな時は家事を放棄、子供達を死なせない育児をモットーに生きてます。
いっしーもにっしーも元気に過ごしてます。
ツイッターのみなさんのお子さんたちも元気な姿を活字で拝見してると嬉しく思います。
最近心臓の検査のほかに泌尿器科に診察にいかなくてはなくなってしまいました。
去年緊急手術をした際にカテーテルが入らなかったんですがそれの原因をまず調べなくちゃいけないのと将来的に放置していい部分なのかどうなのか、ということを検査するみたいです。
去年泌尿器科の先生に入れていただいた時は尿に血が混じっていてちゃんと検査できなかったというのは私も覚えてました。
異性の問題なので私もよくわからず先生任せにするしかないところです。
今月中に来てね、と言われたので来週慌てて行く予定です。
こういう時有給ある仕事っていいなって改めて思いますね…仕事大したことしてないんですけど笑
そんなかんじの最近です。
全然まとめられない感じでいつもすいません。
あとこの場を借りて、
いっしーの発病前から発病後からフォローしていただいてる皆さんありがとうございます。
一年経って結構フォロワーさん減ったと思うんですが内心ほっとしてるんです。
フォロワーさんが増えてきた時こんなに注目を浴びるような事態なんだって改めて感じて冷静に驚く(?)感情だったんですけど、
いまは減ってきたことによって[あ、いっしー元気になってくれたから離れてくれたんだな]って安心するんですよね。
だからってもちろん離れてね、ってことじゃないですよーみんな大好きです(^ ^)♡
いつも楽しいツイ拝見してます。
ツイッターの世界でしかこんなこと言えないし自分を表現できるような人間ではないのでこの環境に感謝してます。
コロナコロナで相変わらず大変ですがみなさんも身体気をつけてくださいね!